秘境フンザの旅(雑感) 

1. またぞろ旅の虫がうずく

東日本大震災のショックから、今年は海外旅行を止めようと決めていた。ところが自粛ムードが一巡するにつれ、無性に海外に行きたくなった。昨年、インドに2回、通算2ケ月間探訪したので、今度はインドの隣国を考えた。当初は自由気ままな個人旅行を予定した。だが、いつも一緒に旅するO君が体力の衰えを感じたのか、海外旅行に乗り気で無くなってしまった。現地でガイドとドライバーを雇っての一人旅は費用も嵩む。第一、脳の弱った僕には道中が心細い。

そんなわけで、添乗員同伴の旅行をネット検索した。秘境旅行のパイオニア、S旅行社の「パミール大横断11日間」が見つかった。やや短い日程であったが参加することにした。

2011年6月17日、成田空港に集まった10名(男性6名、女性4名)の面々は辺境の地を好んで旅する、一風変わった人たちであった。添乗員はHさんという女性である。対面前は気丈な山女を想像していたが、実際に会って見ると気配りが行き届き、穏やかな語り口で、お嬢さん風の感じのよい人であった。H嬢はお客を連れて、カラコルム・トレッキングにも行くベテランだ。

2. パキスタンとテロリスト

成田から、パキスタン航空で北京を経由して、パキスタンの首都イスラマバードへ飛んだ。PK便と聞くと、かつては悪名高い航空会社。On Timeで飛べばラッキーでしばしばDelay(遅延)に悩まされるというイメージが強かった。だが予想に反して、ほぼ正確な運行と見事な操縦であった。機内食の不味さと、トイレの不潔な点が改善されれば申し分の無い航空会社である。

途中、中国の北京に立ち寄り1時間半ほど飛行機の中で待機させられた。中国政府はこういった場合、飛行機から降りることを許さないらしく、機内で退屈な時間を過ごすことになった。北京からは6時間余りでイスラマバードに到着した。

パキスタンという国がかつてのインドから分かれた一部にしても同国は経済的に見ればインドの背後あって影の薄い存在である。その反面、主要都市では、治安施設やマーケットなどで自爆テロが横行する危険な国として知られている。

パキスタンにはタリバン(パキスタンとアフガニスタンで活動するイスラム主義運動)の温床であるテロリストの拠点があるといわれている。その支援者はパキスタンの富裕階層が多く、パキスタン軍の幹部や富裕者とテロリストが繋がっているとの噂がたえない。米軍によるタリバンの攻撃が激化すれば、タリバンとイスラム原理主義過激派はパキスタン国内に分散・潜行し、ゲリラ的テロ攻撃の戦術を実行するという厄介な問題をかかえている国でもある。パキスタン政府はアフガニスタンとの国境地域のテロリストを封じ込める戦闘を常に迫られている。

今や60発を超える核兵器を保有し世界7位の核大国になり、世界最大のテロリスト排出国のパキスタンは「世界の恐怖」となっている。このことは核を持たないアフガニスタンとは質が違うようだ。パキスタンの安定は、地域や国際社会の平和と安定の鍵をにぎっているとも言える。 

2011年5月2日、米軍特殊部隊が国際テロ組織アルカイダの指導者、オサマ・ビンラディン容疑者を発見し殺害したニュースは世界を駆け巡った。同容疑者が潜伏していた隠れ家はパキスタンの首都近郊のアボタバードである。この地を私たちが通過してきた、ハイウエーから目と鼻の先にある。寄り道をして現地を確認して見たかったが、リスクのともなう行程は旅行社のツアーでは無理であった。

外務省の危険情報によれば、今回訪れる一部の地域に「渡航の是非を検討してください」との発令がされていた。そこは経験豊富な旅行社のツアーのこと、危険な所は避けて通る術を心得ているはずだ。心配する家人に、その点を強調して旅にでた。
 
3.パキスタンの印象

旅のスタイルを、大きくカルチャー派とネイチャー派に分けてみる。カルチャー派は歴史ある街を旅し、美術館や博物館に行ったり、レストランでグルメを楽しもうとする人たちで、一方ネイチャー派はもっぱら雄大な景観、動物の生態、綺麗な花を愛でたり、異民族の生活などに興味のある人たちと言える。僕はネイチャー志向が強い。

旅行社の宣伝文によれば今回の旅は、「イスラマバード(パキスタンの首都)からカシュガル(中国ウイグル自治区)へ、パキスタンと中国を結ぶカラコルム・ハイウエーを大走破!峻険な山々や美しい名峰、雄大なパミール高原やカラクリ湖、迫力の大自然を間近に望み、シルクロードの要衝カジュガルまでの充実した観光をご覧いただけます」とある。ネイチャー派には興味ある企画だ。

僕は旅に先立ちあまり情報を求めない。事前に調べ過ぎるとイメージが膨らみ、結果として期待はずれのことが多いからだ。ともかく行ってみて自分の目で確かめることにしている。つまり、計画性に乏しい行き当たりばったりの旅が好きである。

そして今回、始めて見る景色の数々は僕の好奇心を満足させた。添乗員と現地ガイドに恵まれたこともあるが、暑さと砂塵には閉口したものの、なによりも好天続きであったことである。天候は旅の成果を大きく左右するものだ。

どの場所もエキゾチックな気分にさせられたが、特に印象に残ったのは宮﨑 駿『風の谷のナウシカ』のモデルになったと言われている「フンザ」という山岳地帯の山里であった。「桃源郷」と呼ばれるほど、景色が美しい。雄大な雪の山々を背景に、すらりとのびたポプラの木々をよそ風が吹き抜け、緑のベルベットを敷き詰めたような青々とした畑が広がっている。人々は心豊に暮らし、のんびり穏やかな空気が流れている土地であった。その素朴な魅力に感激した。自然豊かな村や谷は、4月になると杏の花でピンク色に埋め尽くされるそうだ。杏の花咲く春に、もう一度訪れてみたいところである。

パキスタン人の多くは敬虔なイスラム教徒である。さぞストイックな生活をしているだろうと緊張して入国した。しかし、「みんなで仲良く平和に暮らそう」という意識が高く、僕たちのような通り一遍の旅行者にも気さくで親切であった。

街でカメラを持って歩いていると寄ってくる。カメラを構えると大人も「撮って、撮って!」と笑顔で近づいてくる。なんとも微笑ましい出会いだ。そして、日本人が珍しいのか今度は自分のカメラで記念撮影を望まれたこともあった。恥ずかしそうに顔隠してしまう女性もいるが敵意は感じなかった。バスに乗っていても、人懐っこく、手を振ってくる。基本的にパキスタンの人々はとても優しく、愛すべく国民のようだ。

パキスタンの国民一人当たりのGDPは隣国インドの8割(2010年:約84,000円/年)に満たない貧国である。しかし、インドのように目を覆いたくなるような、極度な貧困層は目につかなかった。一部の大金持ちが富を独占しているインドに比べ、皆が平等に貧しい中で生きている事情なのかもしれない。これは深部を見ていない一旅行者の感想である。

4.ハセガワ学校訪問

登山家長谷川恒夫氏は、ヨーロッパ3大北壁の冬期単独登攀に成功し、世界的なクライマーとして有名になった。若き日に登山を趣味としていた僕は、彼の不屈の闘志に喝采を送り、その後の活躍を注目していた。そして、1,981年「南米アクアコンガ南壁冬期単独初登攀」に成功。1,991年冬、極めて難度の高いパキスタン・ウルタル2峰(7,338m)に挑戦したが、雪崩に巻き込まれパートナーと共に遭難した。今回の訪問で当時のニュースが鮮明に蘇ってきた。

長谷川氏の遺志を継ぎ、奥さんや友人、支援者たちの尽力によって建てられた学校がハセガワ・パブリック・メモリアル・スクールである。フンザ・カリマバードの中心にあるこの学校を村人は親しみを込めて、「ハセガワ」と呼ぶ。ここには幼稚園から日本の高校1年に相当するクラスまであり、400余人の生徒が授業を受けている。ハセガワ学校は多くの有能な人材を輩出しており、長谷川氏の名前は永遠にこの地に生き続けていくことだろう。

学校訪問では思いがけない歓迎をうけた。当日、日本大使館の中村1等書記官が訪れると言うことで、生徒や両親が校庭に集まっていた。中村女史は公式訪問ではなく、近くの街ギルギットに来たついでに立ち寄った非公式な訪問であった。にもかかわらずセレモニーは盛大であった。両親や村人そして生徒たちもお祭り気分で浮かれていた。やがて中村氏の登場で会場は一段と盛り上がった。彼女は現地語、英語のスピーチと僕たちのために日本語で挨拶してくれた。学校の運営に、日本政府のODA支援が大きく関わっていることがうかがわれた。

スピーチを終え、中村氏は村人と一緒に輪になって踊った。すっかりこの村に溶け込んだ人気者のようであった。僕たちも続いた。ガイドのマリックさんも得意な民族舞踊を披露した。パキスタン人は踊りが好きだ。和やかな雰囲気が流れたひと時でであった。外務省のエリート官僚がこんな辺境で、日本のODAを役立て、様々な生活や文化の最前線で活躍している。その姿に敬服した。

昔、ブータン大好き人間の知人がブータンで学校設立を考えていた。何人かの仲間でブータンの学校を訪問した。そのとき知ったのは、物価の安い途上国では土地や校舎建設は数百万円で立派なものができる。だが、その後の運営や教師の確保などを継続して支援しなければ、廃校を余儀なくされると言う。途上国といえども、個人レベルでの学校建設と運営は、安易なボランティア的な気持ちでできることではなかった。

<追記>

中村書記官の外務省における現在の活躍が気になった。
総務省違法接待問題に絡んで、内閣広報官辞職を余儀なくされた山田真貴子氏の後任として新内閣広報官に抜擢された小野日子(ひかりこ)氏は外務省出身である。中村書記官も然るべき地位に就いているであろうと思った。

そこで、外務省のホームページの「御意見・ご感想」のページから中村書記官の現在の活躍ぶりを問い合わせた。3回ほど問い合わせたが梨の礫であった。この時期忙しいのは分かるが、国民の皆さんからの「御意見・ご感想」お寄せくださいと言いながら全く無視するとは恨事であった。

5.今日という日の花を摘め

ラテン語で「カルペ・ディエム」と言う言葉がある。カルペ(Carpe)は「花などを摘む」ことで、ディエム(Diem)は「日・時・Time」を意味するそうだ。そう言うものの、僕がラテン語を知っているわけではない。ネット情報の受売りである。

この言葉は「今日という日の花を摘め」「今この瞬間を楽しめ」「今という時を大切に使え」と言おうとしている。つまり、人生は短く、時間はつかの間である。だから、今ある機会をできるだけ掴み、その日その日を有効に使い楽しむほうが賢明であると警告を発しているようだ。

旅には危険がともなう。まして僻地旅行となれば病気になったらお仕舞だ。誰でも幾つになっても命は惜しい。だが、安全第一と心得、危険なことを一切しないという用心深いだけでは面白い体験は望めないだろう。また安全と思えるところにいても、運が悪ければ、交通事故に遭ったり、地震や津波で予期せぬ災難で死ぬこともある。

人にはそれぞれの天寿というものがある。いくら熱心に養生していても早死にすることもある。先のことまで考えても始まらない。まさに良寛のいう、「死ぬ時は死ぬるがよろしく候」なのである。過ぎ行く時間の早さに翻弄されることなく、きょう一日の生命をいきいきと全うすることを心がけたい。

最後に、パキスタンは2005年の大地震と2006年からの自爆テロの後、団体ツアーどころか個人的に来るお客さんも減り、観光業は大変な状態になっていると言う。しかし、一部の都市や無政府地帯を除けば、安全で魅力ある場所が多いところであることを付け加える。さらに、グランドシニアには優秀な添乗員同伴の「あなたまかせの旅」も楽しいものだ。そして、ツアー参加者とは「一期一会」。世のしがらみに煩わされることもなく、旅に専念できるのも嬉しいことだ。

そう言ってみても、コロナ禍でしばらくは海外旅行無理であろうが・・・

2021年5月17日 改訂