マチャプチャレに若き日を偲ぶ (回想)

カトマンズから西へ200km、飛行機で約30分、ペワ湖とアンナプルナ連峰の展望で知られる、ポカラは緑豊な盆地である。古くからヨーロッパの人々が保養地として訪れていたが、白いヒマラヤが間近に見られることで、いまやネパールを代表する景勝地となっている。

空港から降り立って突 然眼に入った光景はポカラのシンボルともいえるマチャプチャレある。マチャプチャレとは聞き慣れないコトバだがネパール語で「魚の尻尾」という名が付けられている。ポカラからは三角形の尖ったピラミッド型に見えるが、西側から見ると魚の尾のように二つに分かれているのが名前の由来だそうである。街からの距離が一番近いため、8000メートルを超えるアンナプルナ1峰よりも高く見えるが実際には7000メートルにわずか足りない高さの山である。

スイスのマッターホルンによく似たこの山に、僕は特別の想いがあった。

60年前のことである。千葉県山岳連盟がこの山の登攀を行った。その時遠征隊に選ばれたのが千葉山岳会のS先輩であった。Sさんは遠征に先立って、厳冬期の北岳(3193m富士山に次いでの高峰)で耐寒訓練を行いたい。お前達もつき合ってくれないかと誘われ、山岳会の後輩として僕とO君が同行した。

1962年(昭和37年)の暮から正月にかけて北岳に登ることになった。ルートは小太郎尾根からの登頂である。耐寒訓練というものの完全な高所冬山登山である。

この当時日本列島は、二つ玉低気圧に襲われ山は大荒れに荒れた。暮れから正月の冬山事故で23名が死亡し最悪の年になった。私達は3日間テントから出ることができず嵐の過ぎ去るのジッとまった。そのあいだ食事は一日乾パン半袋と水を飲んで食い繋ぎながら、登頂の日を待った。

3日後に天気が回復し、午前4時テントを出発。真っ暗、星明かりが綺麗だった。気温はマイナス20度。ヘッドライト,アイゼン、ヘルメットなど冬山の完全装備をして、暗闇の森を歩き出す。急斜面越え、とうとう主稜線に出た。主稜線上では,忠実に尾根上を歩くわけではなく、傾斜60度ほどの雪壁を登らなくてはならない部分が多い。夏道はトラバース(岩壁や山の斜面を横切って進むこと)するが、雪崩斜面のためトラバースは危ない。

直登するようにしたが直登でも、これだけ急傾斜だと雪崩の危険はある。しかも降雪からあまり日数もたっていない。念のためザイルを出し、スタカット登山で(一人が登攀し、他の者がそれを確保する登り方)で越えた。僕たちは軽い凍傷にかかりながらも、念願の小太郎尾根から北岳頂上へ立つことができた。

その後、マチャプチャレ登攀に成功して帰国した先輩は「丸ビルのような大きな氷の塊が落ちてきて、今日死ぬか、明日死ぬかと、恐怖の毎日であった」と話していた。

僕は、端麗な姿のこの山を眺めながら昔日の思いに耽った。マチャプチャレは信仰の山として今では登山が禁止されているようだ。