憧れのシベリア鉄道の旅 
       
2010年9月初旬シベリア鉄道の旅に向かった。成田から約3時間半のフライトでイルクーツク空港へ。

イルクーツクはシベリア文化、工業の中心地で、ハバロフスクと並ぶ大都市である。人口約58万。サンクトペテルブルクやモスクワの文化によるものか、町並みは街路樹に彩られ美しい。バイカル湖から流れるアンガラ川が背景を飾るこの町は、「シベリアのパリ」ともいわれている。(参考:地球の歩き方)

イルクーツクから約70キロ、車で1時間半距離にある湖畔のリストヴャンカ村へたどり着く。そしてバイカル湖の遊覧を楽しんだ。「人生で一度は見ておきたい絶景」と呼ばれる場所は、世界中に数多くある。中でも世界中の人々から注目を集めているのが、ロシアにある「バイカル湖」である。しかもその美しさは別名「シベリアの真珠」と呼ばれるほど、自然が作り出す壮大な美景を誇っている。夕暮れ時、湖畔のログハウスに宿泊し、ゆっくり過ごすした。明日からはシベリア鉄道3泊4日の旅が始まる。

早朝ログハウスを出発してイルクーツク駅に向かった。列車は早朝6:01、ほぼ定刻通りにホームに滑り込んできた。20分ほど停車して出発した。

このシベリア鉄道の駅は特に列車とホームの間隔が広く、また階段の段数も多いので、乗り込むのがチョト大変であった。しかも僕が乗車しようとした途端、ガタンと音が鳴って列車が20cmほど動いたのでビックリした。やっとの思いでスーツケースを持ち上げた。そしてなんとか、「オケアン号」の2等寝台のコンパ-トメントに無事乗り込んだ。通常4名で利用する1コンパートメントを2名で利用したので2段ベッドの上段を利用することが無かった。スペースはゆったりして快適であった。テーブルにはウェルカムドリンクやフルーツ類が用意されていた。

荷物を整理して落ち着いたところで車窓から外を眺めていた。オレンジやグリーン色、個性的な形の家々が建っている村を通り過ぎたかと思うと、今度は白樺の森が続く。この時期の風景は温かみのある黄色に染まる美しい季節であった。

車窓から「ダーチャ」という郊外の別荘が見えてきた。別荘と一口にいってもバカンスを過ごすための高級別荘のことではない。菜園があり、そこで野菜を育てる自給自足的な生活を含めた暮らし方を含めて、ダーチャなのだ。郊外の広大に広がる土地で、家族で畑仕事にいそしむのがロシアの休日の光景だ。

やがて夜になり、列車の揺れが眠りを誘った。旅の疲れもあって久しぶりに熟睡した。翌日から、延々と荒野が続いた。運動をかねて各車両を回ってみた。廊下はすれ違うのもやっとなくらい狭いが、まぁそれは寝台列車ならどこも一緒だろう。

3等列車に行くと日本人のバックパッカーやロシア人の家族がくつろいでいた。可愛いお嬢ちゃんがいたので、あめ玉をあげたら、「ニーハオ」とニッコリした。「おじいちゃんは日本人ですよ」と行っても分かるはずがない。きょとんとしていた。「パカー=またね」といって分かれた。言葉は分からないが身振り手振りで現地の人々との交流も、旅の楽しさを増してくれる。

各車両には「コンダクトーラ」と呼ばれる車掌が2名ついており、個室の清掃や紅茶のサービス、ホームに降りたときに、ちゃんと乗客が乗っているか等をチェックしてくれる。人懐っこい楽しい車掌もいれば、徐々に打ち解けてくる車掌、終始業務的で仏頂面の車掌と人さまざまである。長丁場であるので、車掌と良い関係ができれば旅は楽しくなる。

3泊4日の鉄道旅は何もしないうちに終った。この何もしない一時はある意味でもっとも贅沢な旅でもあろう。間もなく到着ということで車掌さんがシーツを集めにやってきた。「スパシーバ=ありがとう」と感謝しつつシベリア鉄道のロマンに酔いしれながら別れた。

最後にウラジオストックの観光である。ウラジオストックは日本海沿岸に位置する沿岸地方の州都で日本と結ばれたシベリアの玄関口である。はるかモスクワまで続くシベリア鉄道の起点の町としても有名だ。人口約60万。

日本との関係も深く、1876年早くも日本政府領事館が置かれた。1889年シベリア鉄道の敷設のため出稼ぎに行った日本人も多い。第二次世界大戦のシベリア抑留などの悲しい過去もあった。僕の父親もシベリアの捕虜で苦しんだ一人である。

トータル7泊8日の旅は終った。成田空港までわずか2時間のフライト。日本から一番近いヨーロッパである。このアクセスの良さが体力の自信の無い老人には魅力である。白系ロシア美人との対面できるし・・・

<余談> 

●2021-9-14 東洋経済onlineより
ウラジオストクに今、にわかに日本人の旅行ブームが訪れている。
成田空港から直行便で2時間弱という近さ。加えて、フランスやイタリアといった西欧諸国とは違った歴史と味わいある町並み。「日本からいちばん近いヨーロッパ」というキャッチフレーズで、特に女性旅行者たちに注目を集めている。

ウラジオストクへの日本人旅行者が急増。人気に拍車をかけたのが、2017年8月に行われたビザ緩和だ。かつては事前に手続きが必要で、費用も1万円ほどかかったが、ビザ緩和以降はネットでの無料申請が可能に。一般的な観光であれば、沿海州に8日間連続滞在することが可能となった。

「ウラジオストクへの日本人旅行者は、例年7000~1万人程度で推移していたが、それが2017年に突然1万8000人を超え、2018年に入ってもその勢いが続いている。コロナが終息したら再び観光客が訪れるであろう。