ゲイ・レズビアンの祭典(ハッピー・マルディグラ)
 
十数年前になるがオーストラリアのシドニーに長期滞在したことがある。 その時、現地には日本人同士または日本人と外国人のゲイカップルがたくさん住んでいた。州によって異なるようだがオーストラリアは、同性パートナーシップが認められている国である。ちなみに、シドニーはサンフランシスコについでゲイ人口が多い都市である。
現地で、日本人の若いゲイカップルと知り合った。明るい性格の、人柄の良い好青年であった。彼らに誘われて、シドニーのゲイ・レズビアンの祭典マルディグラ(MARDI GRAS)を見学した。毎年2月の最終週土曜日か、3月の第一週土曜日に年1回だけのパレードが開かれる。さすがに1年に一回の世界最大級のゲイの祭典というだけあって、その規模は一見の価値があった。

まず、レズビアンのバイク軍団から始まる。バイクに乗った若いレズビアンが轟音を鳴らしてパレードの先陣を切る。警察や消防所のゲイ団体が「ハッピー・マルディグラ」叫びながらこれに続く。この日にカミングアウトした警察署員や消防士もいるそうだ。裸で水着のゲイ100名以上の練り歩きは圧巻。

中年のおばさんがいるかと思えば、怪しいコスプレした20代前半の可愛い綺麗なレズビアンも参加している。障害者のゲイパレードもあった。お仕舞いには一般市民まで参加しての、お祭り騒ぎが始まった。こうして、パレードは午後の7時ごろから11時過ぎまでぶっ通しで行われた。日本では見ることのできない異文化体験である。

この盛大なゲイパレードは、ゲイ社会を寛大に認めているシドニー当局の姿勢を感じた。だが、オーストラリアは連邦制国家で、州によって法律が異なる。シドニーの所在するニューサウスウェールズ州では同性愛者は尊重されるが、タスマニア州や西オーストラリア州・南オーストラリア州では、同性愛者は犯罪者として刑事処罰の対象となっている。(最近の情報は分からない)

同性愛者の扱いは国によって異なる。そもそも、キリスト教の律法では、同性愛は主なる神様が嫌悪される変態的な行為で、重い罪として見做されている。

<追記>

生物学的な見地から見ると、子供を作り自分の種族の生存を保障するという、生物の目的を妨げるものだから、同性愛に対して一種の違和感を覚える人がいる。偏見を持ってはいけないと思いながらも、子孫を残せない形態に、潜在意識として少々しっくりしない感じがするという。だが「子孫繁栄が生物の目的なのだから、それに貢献するべきだ」という考えも、人の主観を根拠にしたものにすぎない。言い換えれば、これは科学的ではなく道徳・価値の話とする反論もある。

それはともかく、近年日本においても、LGBTという「言葉」の認知は高まりつつある。LGBTとは、性的少数者を限定的に指す言葉。レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(心と体の性の不一致)の頭文字をとった総称である。(wikipedia)

認知は高まったといえ、依然として日本人がLGBTを身近に感じている人は決して多くはなく、未だに差別や偏見の対象になっているようだ。結婚というものは男と女がするものであり、同性同士でするものではないとの、これまでの伝統的な価値観を肯定する考え方が、とくに地方都市では一般的であろう。

この問題は、わが国の家庭の在り方の根幹に関わる事柄で、極めて慎重に検討を要する案件であるものの、先進7カ国(G7)で法的にLGBTへの差別を禁止していないのは日本だけ。「差別やハラスメントが法律で明確に禁止されていないこと自体、日本は国際的に見てガラパゴス状態」であることからして、早急に検討すべき課題であろう。

■ゲイの餌食になりかかった話

半世紀ほど前、仕事でニューヨークに行った時のことである。1970年代のニューヨークは治安の悪い街の代名詞であった。夜の8時以降の地下鉄は、悪の巣窟と恐れられていた。事実、ニューヨーク支店ではトイレの出入りまで、鍵を持参して用を足すほどの徹底ぶり。賊がトイレに潜んで犯行におよんだ事件が、報道されていたからである。

見知らぬ異国の一人歩きは楽しいものだ。しかし、夜の探索となると危険と裏腹でもある。そんなリスクを冒してまで、街ふらつくほど、愚かな男ではない。まして、出張中の不祥事となれば、社内で笑いものになってしまう。いくら物好きの僕でも逡巡する。ところが、宿泊先のホテルの目と鼻の先に、ポルノ映画の上映館があった。夜でも街路灯は昼間のように輝いている。これならまず安全であると判断した。

せっかくニューヨークまで来たことだし、本物のポルノ映画を見たいという衝動に駆られた。当時の僕は30代前半、勃々たる気力に溢れていた。若干の後ろめたさ持ちながらも映画館に入った。こちらでは、もうポルノ映画は飽きられたのか観客はまばらであった。僕は遠慮がちに後方に席をとった。

シネマスコープの大スクリーンに映し出された映像は、シャロンテート張りの美人女優が黒人男性と絡み合っている。その場面や、あの場所の大写しに度肝を抜かされた。映像も綺麗で、さすが本場物は違うと感心した。

そして、超ファンタジックな世界に没頭していた。と、そのとき、横を向くと大柄な黒人男性がしのびよってきた。男は僕の股間に手を延ばしてきた。「Stop! Stop! 止めろ、止めろ」大声でどなった。

暗闇で男の表情はよく見えなかったが、目を凝らしてよく見ると、たらこ唇をした人のよさそうな奴だった。伸ばした手のヒラの白さが印象的だった。男は大声にたじろいで、気まずそうな顔をして、そそくさと立ち去った。危うくゲイの餌食になりかかった一幕であった。

映画は何ごともなかったように、画面一杯に男女のあそこが映しだしている。こんなハードコアポルノは、慣れてしまうとすぐ飽きがくる。僕は早々にホテルに帰った。

ゲイはマッチョな男性を好むらしい。小柄な東洋人の僕が、ゲイの相手に選ばれたか、今でも不思議である。単に映画に興奮して、いたずらを仕掛けただけかもしれない。とんだお粗末の一席であった。