大動脈弁置換手術

最新治療・経カテーテル大動脈弁治療(TAVI:タビ)体験 

1.私と心疾患

私の心疾患との関わりは古い。最初に患ったのは2006年9月、テニスプレイ中に倒れた。手足がしびれ動かなくなった、いわゆる脳梗塞が発症した。幸い救急車で運ばれた病院で2005年10月に承認されたばかりの新薬アルテプラーゼ血栓溶解療法(tPA)を施すことで大きな後遺症もなく回復した。

脳梗塞の原因は心房細動であった。「心房細動」とは心房内に流れる電気信号によって起こる「不整脈」の一種で、心房が痙攣したように細かく震え、血液をうまく全身に送り出せない病気のことである。いちばん問題となるのが、心房の中で「血液の固まり(血栓)」ができ、それが血流に乗って全身に運ばれ、血管を詰まらせてしまうことである。

心房細動の治療に地元の総合病院で入退院を繰り返しながら薬物治療をしていたが治療の効果は思わしくなく、薬物治療の限界を感じるようになってきた。そんな折、近所のかかりつけの先生が、心房細動の根治的治療としてのカテーテルアブレーション(心筋焼灼術)を得意とする「さいたま赤十字病院」の循環器内科を紹介された。そして2015年に手術を行った。結果は良好で2年半ほど不整脈に悩まされることはなかった。

しかし2018年に再発して2回目の手術を行ったが、期待された効果は見られなかった。これ以上手術を繰り返しても思うような結果はできないとの、日赤の主治医の判断から、血栓溶解薬(プラザキサ)を飲みながら、定期検診で心臓の状態を経過観察していた。ところが今年の4月の検診で弁膜症の症状が中等症から重症化の領域に入ったと伝えられた。そして主治医のI先生から「早い時期に弁の置換手術をするよう」薦められた。

人間の心臓は、左心室・左心房・右心室・右心房の4つの部屋に分かれており、それぞれの間にドアのように働く「弁」がある。心臓弁膜症とは、心臓のポンプ機能に様々な支障をきたした状態をいう。弁は本来、血液が流れるときに開き、流れ終わったら閉じて、血液が逆流しないように機能している。しかし、弁が外傷・先天的(生まれつき)や加齢など理由で弁の機能に異常が起こる。弁の開きが悪くなり血液の流れが悪くなる状態を狭窄症または閉鎖不全症と呼ばれる。私の病名は「大動脈弁狭窄症」である。

2.大動脈弁置換手術

弁置換手術のとしては、開胸手術で心臓の弁の修復や交換を行う「外科的治療」が一般的である。これには胸骨切開、心臓停止、大動脈切開、人工心肺、全身冷却といった特殊な操作を行う方法で、手術が確立しており安全も高いく弁の耐久性に優れている。しかし高齢者には肉体的負担が大きく、よしんば心臓は良くなったとしても開胸により体力が衰え、それが元で死んでしまうケースもある。

もう一つの方法は開胸することもなく、また心臓を止めることなく、カテーテルを用いて弁を植え込む「経カテーテル大動脈弁治療(TAVI:タビ)」がある。このカテーテル治療は2013年に保険診療の承認が得られた比較的新しい治療法である。治療実績が少ないだけに長期耐久性の臨床データ少なく、今のところは耐久性は10年~15年といわれている。

「さいたま赤十字病院」では2017年に施設認定を受けている。TAVIのできる施設は心臓手術やカテーテル治療の経験が豊富で、ハイブリッド手術室などの設備のある病院が必須となり、埼玉県では7施設と限られている。私の手術は日赤心臓血管外科のM部長が中心で行なった。

早速手術に向けての詳細な検査を行なった。心エコー、心臓カテーテル検査、心臓レントゲン、心電図などの精査な診断の結果、重症化はかなり進んでいた。M先生は「車に例えるならば、エンジンが煙りを上げてあえぎながら走っている状態で、やがて火を吹いエンジンが燃え尽きてしまいます。つまり心臓停止してしまうことになります」とのことであった。そしてこのまま放置すればあと2年程度の寿命と告げられた。私は81歳になり生き延びてきたので、あと5年ほど持つなら手術を見合わせてもよいと考えていたが、2年と言われるとこの世に未練がのこる。手術を視野に説明をうけた。

手術の方法は私の年齢を考えて「経カテーテル大動脈弁治療(TAVI:タビ)」が選択された。M先生は手術に先立って、私と妻に手術のリスクを丁寧に説明した。この手術での死亡率は2~3%である。また、私の場合は一度脳梗塞に罹っているので脳梗塞の確率は高くなるとのことであった。脳梗塞になれば寝たきりや車椅子生活を余儀なくされる。その他として左心室破裂、急性心不全、カテーテル弁の移動、血管損傷(動脈解離、破裂)、徐脈など数々あり、決して安全な手術ではないようだ。一緒に聞いていた妻はかなり動揺して手術をためらっていたが、私の腹は決まっていた。「先生に命をあずけます。よろしくお願いします」先生は「一緒に頑張りましょう」と力強く応えてくれた。手術の日取りは5月27日朝9時に決まった。

手術を迎えるまで数週間は気を遣った。コロナ禍の中もしコロナに感染してしまったら手術はできなくなってしまうし、高齢者の私は重症化して命を落とすかも知れない。不要不急の外出を控えできるだけ人に会わないようした。苦しいときの神頼み。地元鷲宮神社に「手術成功」の願掛けもした。そしてついに入院の日を迎えることができた。その安堵感と同時にこれから予想される手術のリスクを考え、不安な気持ちは拭い去れなかった。入院は5月25日、退院は5月30日の6日間予定である。ただし、この日程は順調にいってのことで、手術中に不測の事態がおこれば入院は長引くことになる。

手術の前の日、僕の病室に7,8人の人が訪れた。ビックリした。M先生の率いるハートチームのメンバーが挨拶に見えたのだ。M先生は明日頑張りましょうと励ましてくれた。先生の好意が嬉しかった。

手術当日、看護師さんに支えられて手術服に着替え、車椅子で手術室に向かった。そして手術台に乗せられた。こうなったらまな板の鯉である。運を天にまかせるしかない。じたばたしても始まらないと思ったら、気持ちが不思議と落ち着いてきた。麻酔科の医師によって全身麻酔の注射がうたれ意識がなくなった。手術時間は前処理を含めて約4時間弱である。

全身麻酔の後に、カテーテルとよばれる鉛筆くらいの太さの管を、足の付け根から大腿動脈から入れて心臓まで運ぶ。カテーテルの先端には小さく折りたたまれた生体弁が装着されていて所定の位置に到達したら、バルーンを膨らませ生体弁を広げ留置させる方法である。

3.お花畑を見る

どのくらい時がたったか分からないが、白、黄色、ピンク色などの花が咲くお花畑が見えてきた。心地よく不思議なカラフルな映像である。うっとりするほどの陶酔境であった。このままずっとこの世界に留まっていたい気持ちになった。夢うつつのなかで「篠崎さん、手術は終りましたよ。無事成功しました。」との声が聞こえて我に返った。

病気や事故などで心停止に陥った人が、死の淵から生還する際に「お花畑」を見たとか「三途の川」が流れていたとか驚愕のエピソードは昔からよく聞く話である。これが私の「臨死体験」なのか。あるいは麻酔薬の影響かも知れない。麻薬中毒者が薬物をやめられないのは、こんな感覚を知ってしまったためなのか?

正気に戻った僕はCCU(心疾患集中治療室)に移動した。そこでは徹底した監視下のもと一晩を過ごすことになった。仰向けのまま寝返りを打てない姿勢は辛かった。さらに人工呼吸器。心電図モニター、首の付け根からの点滴、尿道留置カテーテルなど身体中に針やらモニターが装着されている。モニターから異常値がでると警報が鳴り、看護師さんが飛んできて状況をチェックする。とても睡眠できる状態では無かった。

翌日午後に一般病棟に移動した。しかし、ここでも長時間、体に点滴がつながれるているので、寝返りやトイレへの移動に際して、チューブが体に絡まる、引っかかって抜けてしまう。点滴台につまづいたりして看護師さんのお世話になった。

今回、手術や入院中に大勢の病院スタッフにお世話になった。医師やCCUの看護師の対応はプロ意識が高く、また一般病棟の栄養士、看護師、リハビリ担当、薬担当の説明も適切で病気への理解が深められた。皆さんは明るいキャラクターの人たちが多く、親切であった。とりわけ、患者が無事手術を終え順調に回復できるよう、手術前、手術中、手術後まで患者のコンディション見守ってくれた、麻酔科医チームの努力は有りがたかった。

こうして5月30日無事退院した。退院した翌日から普通の生活が行えるほど「TAVI」は身体に負担のない方法である。家に帰ってからリハビリ担当医の指示に従って、翌朝から家の前の公園でウオーキングを始めた。カテーテルを挿入した右足の付け根は3センチくらいの傷後は塞がっておらず血がにじんでいる、痛みもある。右足はむくんでいる。それでもリハビリを怠ると筋肉は退化してしまうので、ともかく身体を動かさなくてはならないと、一生懸命努力した。

順調に10日間が経過した。そこで朝のウオーキングは心臓に負荷をかけるためにインターバル速歩取り入れた。時間は約1時間。ところがある朝、突然脈拍異常に襲われた。胸の動悸がして脈拍数が1分間200以上とかなりの頻脈である。その時はしばらくして発作は治まった。それから4日後に再び脈拍異常が派生した。今度は脈拍数が1分間200以上の頻脈と脈拍数が1分間30と極端な徐脈が交互に現れた。(正常心拍数60~100回/分)

この時は立っているのが辛く、ベットの横になっていた。こんな経験は初めてである。死んでしまうかと思った。そこで携帯用心電図計での測定データをプリントアウトして、直ぐに日赤のかかりつけ主治医循環器内科のI先生診察を受けた。先生は「術後半年くらいは脈が安定しないことがあるので、しばらく様子を見てみましょう」と言って頻脈と徐脈の頓服薬を処方してくれた。「めまいがひどかったり、ふらつき(失神寸前の状態)の症状が無いので、頻脈と徐脈があっても早々に死ぬことはありません。発作が起こったら頓服薬を飲んでください。」と先生は気楽にいう。確かに頓服薬は効果的であるが、思案に余る。間もなく術後2ヶ月になろうとしているが、まだ不安定な脈拍は続いている。もうしばらく辛抱せねばならないのか。

11月ころになれば国民のワクチン接種も進み、コロナも終息に向かうだろう。その頃までに私の心臓も安定してくれればよいのだが。ひたすら養生に努めよう。

4.老年の愉しみ

私は人生後半になって心臓病に苦しめられた。そして今でも病魔と闘っている。病気になって入院するのは不運に決まっているのだが「これも人生にとって必要な体験であったかも知れない」人間、80歳を過ぎて具合の悪くない方がおかしい。たぶん精密に調べればいろいろと病気が見つかるだろう。それをだましだまし病気と折り合いをつけながら日々を送っている。重篤な症状の病気をかかえている人もいるだろう。不治の病と闘っている人もいる。比べるもなくそんな人たちから見れば、私はすこぶる幸せである。

大動脈弁狭窄症であと2年の命と告げられたとき、このまま手術をしないで、親からもらった心臓を使い切って寿命を全うする選択もあった。しかし、リスクを負いながらも弁置換手術を選んだ。この世にまだ未練があり、生きていれば楽しみがあると思ったからだ。

あと何年生きるか分からないが、これから私はどんな生き方をすれば良いのかと自問した。世の中や人の役立つボランティア活動できれば良いのであるが・・・

「スーパーボランティア」として知られる大分県日出町の尾畠春夫さん行動には恐れ入る。大規模土石流の被害を受けた静岡県熱海市を訪れた。「泥に漬かっている人を引っ張り出してあげたい」申しでている映像がTVに写っていた。尾畠さんは僕と同い年の81歳で身長も161cmと同じく小柄である。その超人的肉体と人を思いやる優しい慈悲深い心は、もはや神仏の領域に近づいているといってもよいであろう。

だがまてよ、自分ひとりでやっと生きている半病人の私にそんな大それたことができるはずがない。せめて人に迷惑のかからないよう、自立できる生活が精一杯である。老人が自立し健康に生きるためには、なにかに没頭できる趣味を持つことでなかろうか。私は一時期ゴルフに熱中した。リンクスゴルフに憧れてスコットランドに一人でゴルフ行脚をした。憧れの聖地「セントアンドリュース」でもプレーした。しかし、脳梗塞を患ってからゴルフができなくなってしまった。そこでもっぱらの趣味は海外旅行となった。

しかしコロナ禍で2年近く旅行をしていない。昨年、カムチャツカのヒグマ観察ツアーを予約したが、コロナで中止となってしまった。ツアーが再開したら参加したい。来年夏なら可能性がありそうだ。

今、目論んでいるのは

●南エチオピア秘境縦断
長い間行きたい国の候補の一つにしていた。南エチオピアで、人類揺籃の地と云われ、命みなぎる少数民族に出会う旅である

●アフリカ、タンザニア 「セレンゲティ国立公園」
 約150万頭のヌーの大群が川渡りをする。有名なヌーの大移動を観察する。

上記の旅は実現できるかどうか分からないが、想像するだけでワクワクする。冥土の土産にしたい。この手の旅は道中が長いので、かなり肉体的に過酷なものになるだろう。しかし人生の最後に近づいて死を気楽に考えられるようになった今が、チャンスである。見知らぬ土地で客死しても本望だ。「お花畑を見て、臨死体験をした男に怖いものはない」と粋がってみたものの、現実には難しい問題が残る。もし不運にも異国で死ぬようなことになれば、残された家族はもとより日本政府にだって迷惑のかかることになりかねない。安全性を十分考慮したツアー選びは必須。これは肝に銘じたい。

「いまこの瞬間を楽しめ」「今という時を大切に使え」 いくつになっても夢を追い続けられる人生でありたいものだ。

                    2021-07-14  独法師