回想 インドオリッサ州の少数民族探訪

今から十数年前、2010年2月インドに1か月間旅行した。支離滅裂な交通事情。牛、野良犬、ラクダが道路脇や道路を徘徊し、街はいたる所がゴミだらけ。そして、なぜこんなに人がいるのかというほど、人、人、人。街頭には貧しい人と物乞いがあふれていた。

この時の経験を端的に表現すると「無秩序・混沌・貧困」となる。言語、宗教、気候、食習慣、文化どれをとっても日本と異なった多種多様な集団であった。 個性の強い人間や集団がひしめきあい、価値観の異なる人々の生き方には強く心に残った。その強烈なエネルギーにショックを受けながらも、なぜか底知れぬ不思議な魅力を感じた。そんなインドの独特の文化や生活に興味を引かれ、半年後、喧騒と貧困の世界に再び飛び込んだ。

今回は南インドの世界遺産などの観光と、絶滅の危機にあるベンガル虎のウオッチング、そしてインド東部の山岳地帯の少数民族の探訪。さらに政情の安定したスリランカまで足を伸ばした。

この旅行記は、オリッサ州の少数民族に焦点をあてて記述した。

全行程は2010年11月17日から2010年12月17日までの31日間。そのうち少数民族の探訪は7泊8日の行程を組んだ。

旅を通じてその国特有の自然や文化に触れ、その国の人々や風変わりな風俗を見たりすることは、旅の大きな魅力である。インド東部オリッサ州には、今でも60以上もの民族が現存し、独自の生活様式・言語を継承する少数民族が数多く暮らしている。そこで、失われつつある少数民族を深堀りした。

計画は前回お願いした、インド専門の旅行社バイシャル・トラベルのサニー社長に相談した。社長曰く「この地帯は低カースト層のマオイスト(毛沢東主義の信奉者)が、さまざまなゲリラ活動をしていて危険です。現地から詳しい情報を取り寄せてみましょう」と即答を避けた。しばらくしてサニー氏から「ボンダ族などの一部の集落には入ることができないが、毎週行われている市場の見学なら安全です」とのアドバイスがを受けた。

この話を愚妻にしたら「くれぐれも無茶な行動は謹んでくださいね。拉致でもされて、救助のために税金の無駄遣いになったら困りますから!」とのたまう。

少数民族の探訪は7泊8日。同乗者は現地ガイドが加わり5名。市場の行われる場所までの道のりは難儀した。オリッサ州の大都市プリーから陸路を車で13時間。山間の路面は起伏が激しく、腸ねん転を起すほどのダートロードが延々と続ていた。こんな長時間の悪路走行は疲労が激しい。O君は時々、バックミラーに映ったドライバーを眺め、「彼の目が死んでいる。眠っているのではないか」と心配していた。インドのプロドライバーは眠ったままでも、1~2km走るウルトラCをやってのけると言うが、真偽のほどは疑わしい。ともかく夕暮れ時、何とか無事にラヤガタの宿泊地に到着した。

翌日からボンダ族、ドングリア・コンダ族、デシア族、マリア族、ムリア族の村や市場めぐりが始った。それぞれの部族は平地や山間部に住み、農耕や狩猟などで生活をしている。普段は外界とは一線を引いて暮らしているが、毎週開かれる定期市場に物々交換のため平地に下りてくる。電化製品はないものの市場には新鮮な野菜、鳥や羊の肉類のほかに酒、なべ、釜などの日用品は一通り整っている。

部族の中でも、1,000年前からほとんど変わらず原始的な姿を留めているのがボンダ族である。ボンダ族の集落には立ち入ることができない。彼らと接触できる唯一の方法はオノコデリの木曜市である。

ボンダ族の女性は市場に着飾ってでくる。首にアルミ製の首輪を付け、ビーズのネックレスを胸の前にたらし、20cm程の腰布のみを身に着けている。その華やかな衣装や装身具は美しい。この格好からボンダ族の女性は一目で分かる。普段の暮らしは上半身裸のトップレスのようだ。男性は特別な衣装で着飾ることはないが弓矢を持ち歩いている。性格がきつく好戦的である。「彼らの写真撮影は危険でなので十分気を付けるよう」現地ガイドから注意された。

ボンダ族の人口は2,500人~5,000人。部族以外の結婚はご法度とされている。このために長い間、閉じられた社会で純血を保ってこられたのだろう。

毎週の市場には、それぞれの部族が収穫した野菜などを、20kmも離れた部落から運んでくる。これは女性の仕事のようで、男性は酒を持って売りにくるが、途中で売り物の酒を飲んで酔っ払ってしまう男が多い。どこの世界も女は逞しく男はだらしない。酒を試飲したところアルコール濃度は低く、酸っぱいような味がした。

平地にはデシア族、マリア族、ムリア族などが生活している。この部族は箕(み)や竹籠などの竹細工の加工を生業としており、農耕・牧畜も行っている。そこには道があって、畑があって、民家がある。牧歌的で美しい自然が広がっていた。人びとが住んでいるからこそ、綺麗な景色が残っているのであろう。

村の人々は穏やかで、やたらチップを要求することもなく、自制の利いた態度は好感がもてた。言葉は通じないものの暖かいぬくもりを感じた。子ども達は人懐っこく底抜けに明るい。目をキラキラさせて私たちを見つめている。O君がポラロイドカメラで写した写真を上げると、大喜であった。住居は牛の糞を混ぜた土壁に、屋根は日干し煉瓦を葺いた簡素ものだが、雨風を防ぐには充分なものであろう。

デリーやムンバイなどの大都市のスラム街に住む貧困層は、目を覆いたくなるような悲惨な暮らしをしている。だがインドの最貧困地区のオリッサ州の人々は貧しいながらも、ハッピーに暮らしているよう見えた。それはお互いの絆を大切にし、助け合い、自然と共存して生きているためであろう。

ふらりと訪れた流浪の旅人のエゴかもしれないが、少数民族の伝統ある独自の文化は、永続して欲しいものだ。この地方が急激に近代化・観光化し、文明の悪い面を取り入れて俗化されないように願っている。今や近代化により民族の伝統が失われるのは、世界的傾向となっている。我々の世代までは、身近な存在であった日本の里山が崩壊し、古きよき時代の素朴な雰囲気を失っている。寂しいことだ。

ところで旅の終盤、頑健な相棒O君が体調を崩した。39度以上の発熱と、咳がでて苦しそうだ。ホテルに往診を頼んだ。インドで流行している、インフルエンザであった。同じ部屋にいる僕は、感染を恐れてベッドを遠く離して寝たものの効果がなかった。そして同乗
のガイドとドライバーも次々に感染して、3日間の足止めを余儀なくされた。それでも、自由時間がタップリとある今回のような旅では、スケジュール変更は自在であった。

最後に、日ごろ緊張感がなく、ぐうたらで、なまけた生活している僕にとって、異国で「見るもの」「聞くもの」「味会うもの」は新鮮な感動をもたらしてくれた。好奇心は脳の細胞を活性化には欠かせないもののようで、それが無くなると脳の劣化がどんどん進行し、やがて認知症にもなりかねない。いつまでも楽しく豊に生きるためにも、旅を続けたいものだ。

<参 考>

五木寛之さんの著書『回想のすすめ – 豊潤な記憶の海へ』を読んだ。不安な時代にあっても変わらない資産があることを語っている。それは人間の記憶であり、一人ひとりの頭の中にある無尽蔵の思い出である。

年齢を重ねれば重ねるほど、思い出が増えていくと言う。記憶という資産は減ることはなく、高齢者ほど自分の頭の中に無尽蔵の資産があり、その資産をもとに無限の空想や回想の荒野に身を浸すことができるそうだ。

                      2024年3月25日   独法師